くさや干物は、新島みや藤

         新島の民話             くさや本舗くさや新島みや藤
くさや販売

くさや新島みや藤から”新島四方山話を”

                                             
                                              くさやトップ    新島四方山話へ

式根島とお福の踊り

式根島は江戸時代、人は住んでいませんでした。

新島は江戸時代、年貢に塩を納めていましたが式根島には、

その塩を焼く塩百姓や漁師が仕事の為の仮住まいを結ぶ程度でした。

明治に入ってから、人が渡り住み、今のようになりましたが新島の人も、式根島に住む人も皆信仰心が厚く、

式根島からは盆になると毎年新島に渡って、先祖の墓参りを済ませ、盆踊りを見物した帰っていきました。

明治の中頃になると島を挙げて新島まいりをするようになり、時には時化模様でも行くようになったので、

遭難などを心配して式根島でも盆踊りをやるように島民に説きました。

そして新島で盆踊りの唄や踊りを習い、やがて式根島でも盆踊りが行われるようになったのです。

そして「お福の踊り」も踊り唄われたのですが、その「お福の踊り」を唄うと山で女の泣き声が聞こえたり

悲しい唄声が聞こえたり異変が重なったといいます。

それ以来、式根島では「お福の踊り」は唄いも踊りもしないそうです。

★昔、式根島で塩焼きをしている時代、

ある年のこと年貢塩受け渡しの際に、上納塩が一俵足りなくなりました。

年貢塩の受け渡しは厳しく、たとえ一俵であっても事は重大でした。

塩焼の釜船頭であった新八の責任は厳しく問われ、遂に思いあまった彼は身の無実の証を立てる為

煮え滾る塩釜に身を投げて果てたと言う事です。

  お福は、この船頭、新八の女房だと言う事です。


         お福の踊り

   式根の釜の船頭殿は  塩船漕いで新島へ渡る

           新島は名所  漁どころ

                          ヒンヨウ 新島は名所 漁どころ

  ヒンヨウ お福を連れて花見に行けば お福も花も目も開けぬ

         あのやお福はのれんのうちで

                こちへこちへと ヨウ 袖を引きそろう

                     ヨウ 褄をまた引きそうろう

                            われらに勝る妻持ちて

                                 ヒンヨウ われらに勝る妻持ちて


  ヒンヨウ 小六にもろたる紫たすき かけずと置いて片身にしよう

                ヒンヨウ かけずと置いて片身にしよう


  ヒンヨウ 思い切れやい 小六のみちを

                何して縁が 思いきらりょか

                       ヒンヨウ 何して縁が 思いきらりょか

                             ヒンヨウ お福の踊りや これまでも





ページ先頭へ

くさやトップ | くさや焼き物 | くさや焼き物セット | くさや超生干し | 焼きくさや箱 | 焼きくさや瓶詰

  焼きくさや詰め合わせ | 島唐辛子 | 海藻類 | 特産品瓶詰め | 多々喜(郷土料理) | 金目鯛塩干し

老舗が贈る、三百年の技で造る本物の・新島くさや!(C)1999

くさや岩のりを産地直送で